松本人志「俺の子供を産めや」がもし事実だとしても、発言自体は全然「不適切」ではない理由【宝泉薫】
ここでいう「生産性」とは、子供を産めるかどうかということを指しており、別に間違ってはいない。また、彼女は基本的人権があれば、性別による特権は不要であり、障害者などへの支援だけで十分だと主張、これも至極真っ当な意見だろう。筆者の妻もおおむね同意できるのに、と首をひねっていた。これもまた、行き過ぎた本能抑制状況の象徴といえる。
ちなみに、ロート製薬の意識調査「妊活白書」によると、18~29歳の未婚男女400人のうち「将来、子供をほしくない」と回答した割合は今回ついに半数を超えたという。
ただ、少子化は日本だけの問題ではなく、韓国はもっと深刻だし、欧米の先進国も似たようなものだ。欧米ではそこを移民で補おうとしたため、新生児の名づけ上位に「ムハンマド」のようなイスラム系の名前が登場するようになったらしい。日本はまだそれほどでもないが、埼玉県のクルド人問題のように、地元の日本人との軋轢も生じ始めている。
そのあたりについて、SNSで興味深い指摘を見つけた。
「ハンガリーの少子化対策ワイドショーとかでたまに評価してるけど、性的少数者にくそ厳しかったり、大学でジェンダー学部を廃止したり、移民どもが来るのいやだろ?ハンガリーの国家と文化のために子供うめよー、みたいな国家主義バリバリのナショナリズムセットメニューであることをわざと無視して報道してたらいみねぇのよね」(もへもへ@gerogeroR)
なるほど、そういうやり方もあったりするのかと得心したが、日本でそれを真似るのは難しそうだ。ただ難しくても、それをやれば国力は上がる。戦後の急激な人口増加が高度経済成長やバブル経済の原動力となったように、国民の数は国の強みなのだ。
そんなわけで、少子化対策には子供を産む人、作る人がもっと得をする状況にするのが一番だ。が、それは産まない(産めない)人、作らない(作れない)人が損をする状況でもある。後者にはLGBTのほか、筆者が偏愛する痩せ姫という存在も含まれるかもしれないものの、それでも、あくまで前者が多数派で、そうでない人は少数派という状況にしておかないと、種が存続できなくなる。
筆者は人間が好きだし、そのなかでも日本人が好きなので、日本人が減っていくのは残念だ。そして自身、現時点で子供をひとりしか持てていない状況を申し訳なく感じていたりもする。ひと組のカップルが2~3人の子供を持つか、産みたい人、作りたい人が複数の相手とそうできることを推奨するくらいでないと、日本人の数は維持できないのである。
なお、後者であっても、子供を育てることはできたりするし、少子化対策への貢献方法はさまざまだ。しかし、そもそも、自由に稼げて、自由に使えて、自由に生きていけるのが今の日本。産む人、作る人がこのまま減っていくなら仕方ない。